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2016/11/10

Billbergia vittata ‘Domingos Martins ’ 〜たった1株のドミンゴス・マルティンス〜

2014年日本ブロメリア協会年次総会にて展示された滝沢会長がDon Beadle氏から譲り受けた正真正銘のBillbergia vittata 'Domingos Martins'日本ブロメリア協会HPより




ビルベルギアを知るきっかけ




 私が初めてビルベルギア(ビルバージアともいう)を見たのは雑誌ブルータス「珍奇植物」(2015年9月)に掲載されたビルベルギア ドミンゴス・マルティンスの写真でした。筒状に伸びた葉は緑から黒のグラデーションに色づき、漂白されたような白い水玉模様がたくさん入ります。そしてその葉には細かな白い縞模様が入り、大きく黒い鋸歯(きょし)が葉の輪郭を描くよう並んでいるのです。そして咲き終わった花が筒状になった葉の先から垂れ下がり、白とピンクと黄色の不思議な色をしていました。なかなか言葉では形容しがたい姿形をしていました。後に分かることなのですが、ドミンゴス・マルティンスには現在人気のあるビルベルギアの特徴的な要素のほとんどが詰まっていました。とにかく今までにこのような植物を見たことはありませんでした。ブルータスに掲載された写真にはこのようなキャプションが付いています。 



「最近、印象の異なる実生株が出回っているが、これこそビルベルギアの巨人ドン・ビードルのもとから20年前に国内に持ち込まれた株の正真正銘の姿。」

 はじめは読んでも意味がよくわかりません。ドン・ビードルが何者かもよくわかりません。ただ何やらとんでもなく貴重な株なのだということしか分かりませんでした。それもそのはずで当時の私は園芸についての知識がなく、実生株の意味すらわからなかったのです。

 ドン・ビードルについては藤川史雄さんの著書でこのように紹介されています。





「“ミスター・ビルベルギアと呼ばれたフロリダの育種家。それまであまり目を向けられることのなかったビルベルギアをスターダムにのし上げた立役者で、美しい交配種を次々と生み出した。膨大な数の交配種データをまとめた「Bromeliad Cultivar Registry」も、栽培家の欠かせない資料となっている。」

藤川史雄「エアプランツとその仲間たち ブロメリアハンドブック」(2013発行)p122

 今現在、ビルベルギアは主にインターネットで購入することができます。オークションサイトなどでは比較的手に入りやすい品種もあります(真偽が不明なものもあり注意が必要です)。それらの人気のあるビルベルギアのほとんどは交配種で、赤・紫・ピンク・白・黒など色彩に富んだ非常に綺麗な色をしています。そしてそういった株を少しずつ集めていくと、あることにふと気がつきます。今ではインターネットを検索すると、その品種がどのような交配で作られたか簡単に調べることができるのですが、ドミンゴス・マルティンスがそういった綺麗な交配種の多くに親株として使われているのです。また親株になっていない場合でも、親株の親株に使われていることもあります。要するに、系統の中にドミンゴス・マルティンスが入っているものが非常に多いのです。そしてそれらの交配種の多くがまさにドン・ビードルによってつくられたものなのです。

 実はドミンゴス・マルティンスをドン・ビードル氏のもとから国内に持ち込んだのは、日本ブロメリア協会の滝沢会長です。2014年の年次総会で真偽の疑わしい株が出回っているので、是非本物を見てほしいとその株を展示されたそうです。総会に出席された方のブログ(http://sem.fixa.jp/wordpress/?m=20141123)でその時の様子がレポートされています。興味深いことにドミンゴス・マルティンスの写真のキャプションには「18年間で子を外したのは2つだけ」と書かれています。
 そして、2016年の日本ブロメリア協会年次総会では、滝沢会長によるドミンゴス・マルティンスについての講演が行われました。今までドミンゴス・マルティンスについては伝聞の域を超えず、漠然とした話が伝わってくるだけでした。しかし、この講演の内容はビルベルギアを語る上で無視することのできない、今まで伝わってくる事の無かった真実の記録でした。以下に滝沢弘之会長の講演内容を紹介し、またその内容をもとにドミンゴス・マルティンスについて紹介します。


ドミンゴス・マルティンスとドン・ビードル

2016年の日本ブロメリア協会年次総会における滝沢弘之会長の「True Story of 2 Great Billbergia」からBillbergia vittata 'Domingos Martins'について話された部分の抜粋です。



 20年前に遡ります。私はもう20年どころか30年ぐらい前からブロメリアを栽培しているんですけれど、私がアメリカに行き始めたのが、この頃20年前です。ミスタービルバージア ドン・ビードルは、今86歳。96年からの知り合いです。その96年に私が直接ビードルから手渡されて、現在まで育てているものがドミンゴス・マルティンスなんですが、私は初めて花を見たときにびっくりしました。ビルバージア(ドンは、ビルバージアと発音していました)って本当に花の咲き方が色々あるんですけれど、ドミンゴス・マルティンスのようにくるくる巻いたものを見たことがなくて、非常に感動いたしました。


 みんなドミンゴス・マルティンス、ドミンゴス・マルティンス、と言いますけど、どこまで解っているのか、どこまで知られているのかなっていうと、ほとんど事実は知られていないんです。ドミンゴス・マルティンスというとドン・ビードルということになりますが、カルティバーレジストリー(Cultivar Registry / http://registry.bsi.org/?genus=BILLBERGIA&id=793#793)を見ると「Whitman, Bob+ (Beadle*)1985」と書いてあります。ボブ・ウィットマンはもう亡くなっています。ではボブ・ウィットマンって誰かご存知でしょうか?ドミンゴス・マルティンスを見つけたのはドン・ビードルじゃないの(?)ってことなんですが、実はドン・ビードルではないんです。本当の話を知っている人はほとんどいない。なぜかと言うと、もうみんな事実を知っている人は亡くなってしまっているんです、そのぐらい昔のことなんです。そこで、私とデニスとドンの3人でドミンゴス・マルティンスって本当はどうなっているのか記録を確かめておこうと確認し合いました。順を追って説明します。


 1985年、ボブ・ウィットマンとジョージア・ワゴナーがドミンゴス・マルティンスという街の近くで2つの植物を見つけました。その植物は他には全くありませんでした。そこでこの二人はこの植物を一株ずつ分けました。


 1986年翌年に、ドンはその植物をボブ・ウィットマンのコレクションで見ました。ドン・ビードルは、後にどミンゴス・マルティンスと呼ばれる株をボブ・ウィットマンのコレクションの中から見つけたんですね、それで、これはドン・ビードルの言葉ですけれど、「本当に成長するのが遅くて、子株がなかなか出ない」しかし、ドンはウィットマンに何が何でもこれを私にと、かなり強引に頼み込みました。
それで87年に初めて子株を手に入れます。
そして、翌88年の5月にビードルのドミンゴス・マルティンスが咲きました。これがミスタービルバージアと呼ばれるドン・ビードルの始まりです。この株を元にビードルは数百のビルバージアの銘品を創っていきます。


 のちに、ジョージア・ワゴナーとボブ・ウィットマンで分けたドミンゴス・マルティンスは両方とも失われてしまいます。ということはどういうことかというと、あれほど偉大な、ドミンゴス・マルティンスというのは実は何本かあったものではなくて、はじめにあった2本は失われて、後にドンビードルが手にしたった一株だけが残ったということなんです。今現在、世の中に出ているドミンゴス・マルティンスの交配種は全てその一本の血を引いているということなんです。


 では、ボブ・ウィットマンって誰かというと、テキサスのプライベートコレクターで、そのあと小さなナーセリーを始めました。しかし彼はビルバージアにはあまり興味がなく、クリプタンサスが大好きだったんですね。それでデニスのところに行って、クリプタンサスをこれも欲しいあれも欲しいと頼み込んで、デニスのクリプタンサスコレクションを全部買い取りました。クリプタンサスワーレンルーズというのがありますが、ワーレンルーズとボブ・ウィットマンはとても仲が良く、その二人がクリプタンサスソサエティー創設したんですね、、だから、ボブ・ウィットマンが誰かというと、クリプタンサスソサエティーの創立、創始者の一人ということです。


 ではジョージア・ワゴナーについてです。ワゴナー夫妻という石油と牧場で成功したオクラホマのすごく裕福なカップルがいました。奥さんのジョージアは植物が大好きでした。ボブとジョージアは仲の良い友達で、いつもワゴナー夫妻がお金を出してボブ・ウィットマンを招待し、よく採集旅行に出かけたそうです。そしてブラジルへの採集旅行で2株のドミンゴス・マルティンスを見つけたのです。ただ2株しかみつからなかった、ということがどういうことを意味するのか。私は自生地にもうほんとうに何十回と行ってますけれど、ただ1株しかないなんてことは珍しいことではないんですね、沢山あるものだけが種として認められるという事でもありません。

 ただもう知ってる人はみんな死んでしまった。もしかしたらジョージアが生きてるかもしれないですけど、生きていたとしても90歳を超えているし、どこにいるかもわかりません。ルーサーもウォリー・バーグもジョン・アンダーソンも、知っている人はみんな亡くなってしまいました。デニスとドン・ビードルと私がこの話を知っているだけで、こういう話を知っている人はもうこの世にいないということです。

実際にはここまではスライドを使った講演です。文章にするために編集しました。



 ドミンゴス・マルティンスを手に入れる前のドン・ビードルは幾つかの交配種を作ってはいましたが、あまりパッとしなかったといいます。また、それはドン・ビードルに限ったことではなく、ビルベルギア自体も人気がなく、いくつかの交配種が作られてはいるものの、コレクターからも棚の隅に押しやられるような存在でした。

 1987年にドン・ビードルはドミンゴスマルティンスを手にすると、一心不乱に交配に明け暮れるようになります。それは近寄り難い様な様子であり、狂気を帯びたようで普通の様子ではなかったといいます(滝沢会長談)。1987年の国際ブロメリア協会の会報にはバンダナを巻いて、「BILLBERGIA IS BEAUTIFUL 」とプリントされたTシャツを来ている少しおかしなドン・ビードルの写真があり、当時のドン・ビードルの情熱の一端を垣間見ることができます(http://journal.bsi.org/PDF/V37/BSI_V37(6).pdf)。そして後にビルベルギア ハレルヤをはじめとし様々な交配種を生み出していきます。それまで緑色のものが中心だった交配種がドミンゴス・マルティンスの系統を受け継ぐことで、深い紫やスポットを表現することができるようになったのです。
 2000年9月発行の日本ブロメリア協会会報第6号には国際ブロメリア会議(WBC2000)のセール会場では、ドン・ビードルのナーセリー「ロス・ミラグロス・ビルバージア」のビルベルギアが飛ぶように売れていたとレポートされています。

 このようにドン・ビードルがビルベルギアの巨人ミスタービルベルギアと呼ばれる背景には、ドミンゴスマルティンスの存在とドン・ビードルの情熱がありました。たくさんの美しい交配種を作り出しビルベルギアの良さを広めようという努力があったからこそ、ドン・ビードルがビルベルギアの巨人ミスタービルベルギアと呼ばれるようになり、またビルベルギアが広く楽しまれるようになったのです。
 そして全てのドミンゴス・マルティンスの交配種というのは元をたどると、ウィットマンのコレクションから半ば無理矢理に持ち帰ったたった一本のドミンゴス・マルティンスにたどり着くのです。



ドミンゴ自生地とvittata(同上講演より抜粋)


 国際ブロメリア協会会報のエルトン・MC・レメの(BSI Journal - 1981 V31(5) http://journal.bsi.org/V31/5/)記事によると、ドミンゴス・マルティンスの発見された、ブラジルのエスピリトサント州ドミンゴス・マルチンス市は標高約500メートル・年間降水量1500ミリメートルそして、気温は5~35度となています。東京と比べると最低気温が少し高いですが、年間降水量(気象庁のデータ 1981~2010年の平均値は1528.2mm)はほとんど同じになります。このことは東京でも多くのビルベルギアが少し保温するだけで、冬を越すことができる可能性を示唆しています。

 ドミンゴス・マルチティンスはじめ新種だと思われていたため「BIllbergia Domings Martinsis」と表記されていました。しかしのちにハリー・ルーサーによりform of vittata 、つまりvittataの変種であると同定され、現在では「Billbergia vittata 'Domings Martins'」と表記され、vittataの種類の一つということになっています。

 ではvittataとはどんな種類なんでしょうか。Oliva-Esteveの著書「BROMELIADS」によるとvittataは野生種でたくさんのタイプがあり、ブラジルのミナスジェライス州とエスピリトサント州にの標高200メートルから1300メートルに自生しています。ドミンゴスマルチンスもそんなvittataから生まれた変種だということです。

 エルトン・MC・レメの著書では自生地でのvittataの写真を見ることができます。しっかりとした濃い緑色の筒状になったvittataは岩場の間に着生しています。岩山の見晴らしの良いところで、太陽を遮るものは何もありません。筒の先からは非常に沢山の蕾をつけた花序が垂れ下がっています。その花を見るとまさにドミンゴスマルチンスの花と同じです。真っ赤な花序に花弁は金属質の紫で開花するとくるくると巻き込んでカールします。また滝沢会長の話では、本物のドミンゴス・マルティンスもある程度の大きさまではこのvittataのように深い緑をしているということですが(栽培環境にもよるとのことです)、ドミンゴス・マルティンスと疑わしい株の中には比較的早くからスポットが入り色づくものがあるそうです。実際に、今回の日本ブロメリア協会総会に、正真正銘のドミンゴス・マルティンスが、サイレントオークションに出品されましたが、背丈15cm程の子株は確かに野生のvittataを彷彿させる緑でした。


サイレントオークションに出品された正真正銘のドミンゴス・マルティンス





番外編実生株とは?Domingos Martins x Domingos Martins


 はじめに書いたように、私がビルベルギアを初めて見たのは雑誌ブルータスでの会長のドミンゴスマルティンスでした。ほとんど植物を育てたことはありませんでした。そこから、インターネットで調べながら、少しずつビルベルギアを集めて行ったのですが、ドミンゴスマルティンスに関してはそれらしいものを持っている人がいるものの、なにやら怪しい偽物のようなものも出回っているということで、とてもあやふやな情報しかありませんでした。実際にオークションなどで出品されていることもあり、高値で落札されたりしています。しかし、なかなか本物を売っているところはないので気をつけたほうが良いとアドバイスをいただくこともありました。下の写真をみてください。




(この写真は撮影者に許可を得て使用しています)

 ここに写っている株はドミンゴス・マルティンスとドミンゴス・マルティンスを掛け合わせたの交配種だそうです。要するにドミンゴス・マルティンスから種を採って育てた、いわゆるF2と呼ばれるものでvittata ‘Domingos Martins’ではありません。当然のことながらそうして育てられたものは親とはまた違ったものになるのです。一見するとドミンゴス・マルティンスに見えます。実は私も日本のセラーからオークションで、ドミンゴス・マルティンスを買っています。真偽のほどを確認することはできませんが、おそらく実生ものなのだと思います。当時購入の際には「実生ではなく山採りのクローン」だと回答をいただきましたが、本物の株というのは株の由来がはっきりとわかるものです。

 その他に参考になるのが、日本ブロメリア協会の2009年4月の会報に掲載された「同じ品種名で入手したブロメリアの変異の幅について」という記事です。この記事では滝沢会長のドミンゴス・マルティンスの他に、アメリカの某有名ナーセリー2カ所からそれぞれ2005年と2006年に購入された株、ヤフーオークションからの株の計4株を並べて比べています。明らかに見た目が異なるっていたり、大きさが違ったりします。どれも同じ株には見えませんでした。もちろん滝沢会長の株がドン・ビードル本人からのクローンなのは言うまでもありません。この記事によるとナーセリーで売られていたものは実生繁殖された可能性があると書いています。(話は逸れますが、この記事は他にもタンクブロメリアの購入場所による違いや、日照による影響、肥料による影響などを写真付きでレポートがされていて大変面白い内容になっています。日本ブロメリア協会に入会するとバックナンバーを購入することがでます)

 こういうことから、どうやらドン・ビードルが手にしたドミンゴス・マルティンスの血統を維持しているところはアメリカでもなかなかないようです。まして国内においては滝沢会長由来の株の他に本物を探すことは難しいというのが現状のようです。
 


人物補足

ハリー・ルーサー(故人)
 ブロメリア界の生き字引と呼ばれた。200種を超えるブロメリアの新種記載を行い、それを遥かに超える数の論文を発表している。

デニス・カスカート
 フロリダにあるナーセリー「トロピフローラ」のオーナー。滝沢会長とは中南米のフィールド調査に一緒に行く仲。

ジョン・アンダーソン(故人)
 ブロメリア界に大きく貢献した人物。「ミスターエクメア」とも呼ばれた。

参考文献


  • 雑誌ブルータス「珍奇植物」(2015年9月)
  • 藤川史雄「エアプランツとその仲間たち ブロメリアハンドブック」(2013発行)p122
  • Don BeadleMr. Billbergia's Deep Legacyby Karen Andreas   http://fcbs.org/articles/Don_Beadle_Bio.htm
  • BSI Journal - 1987 V37(6)  http://journal.bsi.org/PDF/V37/BSI_V37(6).pdf
  • BSI Journal - 1981 V31(5) http://journal.bsi.org/V31/5/
  • BROMELIADS (2000)   著者 Francisco Oliva-Esteve 出版社 ARMITANO EDITORES
  • BROMELIADS in the Brazilian wildernessn(1993) 著者  Leme,E.M.C.&Marigo,L.C.  出版社 Marigo  Communicacao Visual Ltda.
  • 日本ブロメリア協会会報 第6号2000年9月 「WBC2000のSale会場で出会ったブロメリア達」
  • 日本ブロメリア協会会報 第19号2004年9月 「第16回国際ブロメリア会議に参加して気付いたもの」
  • 日本ブロメリア協会会報 第29号2009年9月 「同じ品種名で入手したブロメリアの変異の幅について」
  • 日本ブロメリア協会会報 第39号2013年6月 「ハリー・ルーサー氏との思い出と彼に捧げる2つの新しい植物」
  • 日本ブロメリア協会会報 第45号2015年9月 「行事報告2014年総会展示会」
  • Georgia Naoma Waggoner (1923 - 2010) - Find A Grave Memorial https://www.findagrave.com/cgi-bin/fg.cgi?page=gr&GRid=62905804


掲載された画像についてはそれぞれ著作権者に許可を得ていますので、無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。使用の場合は著作権者の許可を得てください。

2016/11/04

はじめに

 わたしがビルベルギアを集め出したのは2016年の春です。結婚や出産をきっかけに一人暮らしのワンルームマンションから以前より少し広めのマンションに引っ越しをしたのがきっかけでした。引っ越しをしたのは冬でした。少し広くはなったものの都心にある狭く古いマンションです。ただリビングの窓が南向きで南中高度の低くなった冬場にはリビングの奥まで太陽が入ってきました。なんとなくこの部屋で何か植物を育てたいと思ったのです。

 日本ではビルベルギアは知られていません。また普通の園芸店では売っていません。実際に私は園芸店で買った株は一株もありません。唯一対面販売で買ったのは池袋の洋蘭展示会に出品されていた藤川さんのスピーシーズナーセリーからの一株です。私はほぼ全てをインターネットで買いました。 しかしビルベルギアは売っているものの、ビルベルギアがどういった植物でどのように育てればよいのかといった情報は、それ程多くはありませんでした。少ないから困った訳ではなく、調べるのもまた楽しみの一つでした。Instagramやブログ、Facebookなどに書き込まれた、その人それぞれの栽培方法や日々の記録などが全て参考になりました。そういったものを読んでいると自分でもビルベルギアについてブログを書いてみたいと漠然と思うようになりました。

 ビルベルギアを集めるのとほぼ同時に日本ブロメリア協会に入会しました。会報のバックナンバーが購入できることや年に一回の総会に参加して、珍しい株の購入をしたいと思ったからです。 2016年の10月、待ちに待った年次総会に参加しました。会は年々規模が大きくなっているようで、今年の会場にも沢山の会員やブロメリアが集まっています。はじめての総会でとても楽しみにしていたので席は一番前に座りました。そして総会が始まり、一年の報告などが終わると講演会です。映し出されたモニターにDomingos Martins の文字が見えた瞬間、私は思わずiPhoneの音声録音をオンにしました。これはとても運が良い、初めての総会でビルベルギアの話を聞けると興奮しました。はじめは後からもう一度聞くためだったのですが、結果的にはこの録音がブログを書く直接のきっかけになりました。

  またその総会では沢山のブロメリアが展示されてたのですが、自分で交配したビルベルギアを展示されていたSさんに栽培方法についてアドバイスを聞いているとふと、「いろいろ聞いてください、ぼくに答えれる質問であれば何でも答えます。皆で情報を共有してスピードアップしましょう」と仰っていたのが印象に残っています。
Sさんの展示株。リサ・ビンサント氏から譲り受けた株でのSさんによる交配種。ご本人曰くまだ未完成だそうです。日本の栽培環境にもあった小型のビルベルギアを求め、ここから交配を繰り返し理想の株にするそうです。2015年1月28日播種。2016年5月から直射日光で栽培。2016年8月に開花。撮影は2016年10月9日の日本ブロメリア協会年次総会にて。




 このブログのタイトルは「BILLBERGIA IS BEAUTIFUL  ex Tokyo Japan 」にしました。ビルベルギアが好きな人はBILLBERGIA IS BEAUTIFUL というとドン・ビードルだと連想します。exとはブロメリアの名前に良くついているのですが、「~より」というような由来を表しているようです。日本からドン・ビードルのような交配種を作りたいといった理想を込めました。